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月一回掲載。書かない月もあります。

2020年7月

気がついたら7月。渡仏まで2ヶ月もない。語学力の状況も相変わらずだが、もうできないなりになんとかやるしかないのだろう、と開き直っている節もある。フランスは少しずつ国境をまたいだ人の往来を再開させており、学生ビザもどうにか交付される見込みである。まだまだ不確かなことも多いが、とりあえずこの夏に向こうに行くことができれば、それだけで十分幸運なことだろう。

スターバックスにいる。東京で毎日喫茶店に行っていた習慣が抜けなくて、自転車を20分くらい漕いで来た。さっき接続法についての文法問題を解いた。接続法を使った文を5つ以上含んだ物語を書きなさい。少女がアイザック・スターンの演奏に感銘を受けヴァイオリンを始め本人にレッスンを受けるまでの物語をでっちあげた。書き終わると、外は雨が降りしきっていてしばらく帰ることができそうにない。屋根のない駐輪場に置いてきた自転車はずぶ濡れになっていることだろう。

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内藤礼による個展「うつしあう創造」に足を運んだ。内藤作品に触れたのは初めてで、それほど予備知識もないままで訪れたが、展示室に入ったとたん、大げさかもしれないが、その冴え渡ったセンスに圧倒される思いがした。天井の高い立方体の空間の中にさまざまな作品が点在しており、鑑賞者は自然光(夜間は小さな電球の光)のみを頼りに作品を見つめる。作品の一つ一つは非常に限定された素材と方法によってできており、そこでは作者の仕事はほぼ「切り取ること」と「配置すること」のみに集中している。非常にミニマムな作品ながら、それでも作品としての強度を感じさせるのは、作者、作品、空間、鑑賞者の関係性が戦略的に編まれているからだろう。作品に対して30センチほどまで顔を近づけて初めてその存在を認識できる、非常に細い糸を天井から床へ張ったある作品は、作品が目に入るまで知覚されることのない光の質感、空間の広がり、作者の存在を驚きをもって鑑賞者に伝える。極小の作品を通して、鑑賞者は自らと作品の距離、ひいてはそれを取り巻く環境との関係性を再考させられる。おそらく作品から生まれるそうした種々の反応が「うつしあい」と作者が呼ぶものであり、作品の本質となるところなのであろう。

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展覧会の感想を書いてみたものの、雨は依然としてやまない。自転車とともに自らもずぶ濡れになりながら帰るしかないのだろう。

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うつのみや金沢香林坊店での古本市にて800円で入手。1987年発行の対談集。武満の対談集は過去何度か編まれているが、それぞれ内容が重複していたりしていなかったり、ややこしい。しかし訳文もきれいでおもしろい。

「武満 あなたの曲に『四季』というのがあったけれど、季節や、自然について、お話聞かせてください。

ケージ こちらに来たときには、ああ、しまった、桜の花をのがしてしまった、と思ったのだけれど、菖蒲にはちょうどいい時季だったんですね。誰でも、人間はいつだって、なにかちょうどいい時季にいるものだ。それは音楽の自然であり、またそれは自然の音楽でもある。私がキノコを好きなのも、ひとつにはそれがあるからなんです。キノコの時季というのはきわめて短い。地上に姿を見せるやいなや、もう腐敗がはじまる。だから、もし君がキノコをひとつ見つけたとしたら、それはちょうどいい頃合いに巡り合ったということになるんだ。」p. 7

「ジャレット 本物の即興というのは、私は書けないと思うし、書くべきでもないと思う。もし書くことができるのであれば、それは本物の即興ではなくなってしまう。というのも即興というのは、とてもパーソナルなものでなければならないから……。例えば、人の声を紙の上に捉えようとしたところでそれはできない。紙の上にとどめることができるのは言葉だけです。」p.29

「ジャレット 武満さんにはわかってもらえると思うけど、これは作曲する時に起こることをとても良く説明する例だと言えると思うのだけど、あるものが、これだという形になったら、それはもう見たくない。同じものを同じ形でまた次の時にもやるのはいやだ、ということなんです。」p.31

「武満 時には、ジャズだとか、クラシックだとかいうようなせまいカテゴリーのことなんかまるで気にならないで、ジャレットさんの音楽に我を忘れて浸ることができたのですが、ことに今回の演奏で強く感じたのは、内面的なものの深まりと同時に、技巧的にも、ピアノを演奏するという技術的な面でも前よりジャレットさん自身のパレット、色彩のパレットがとても多彩になってきていて、それからダイナミズム、何というか、生きている音の姿というか、それが実に幅広くなったということにびっくりしたですね。なかなかあれだけの色彩というかダイナミズムの多様さを持っているピアニストは、クラシックのピアニストではいないという感じがしました。それでクラシックのピアニストは、もう少し勉強しなくてはいけないのじゃないかということを実感しました。

ジャレット うぬぼれていると思われたくないけれど、全く同感です(笑)。私がそれを自慢に思っているからというより、別のピアニストの演奏を聴くとそれが欠けていると痛感するからなのです。(中略)本当に、ある意味では、私の人生はすべてそれに費やされてきたとも言えます。つまり、楽器に秘められた可能性を引き出し、音楽によって与えられるはずの快適な状態を闇の中から引き出すことです。大勢の人々が、大変貧しい音楽と思えるような音楽を受け入れている。いわゆる価値のある音楽においてすら、その演奏にエクスタシーがない。もしそこにエクスタシーがあれば、下手な演奏家でさえも、価値のある演奏ができるのに(笑)。そうでしょう。だから、私にとって、テクニックがすぐれているということは、エクスタティックな状況をもっと聴衆にヴィジュアルな形で伝えることに役立つわけです。それを殆ど・・そこに存在させることができるわけです。(中略) ダイナミックスや色彩ということについて言えば、それらは初めから音楽に存在するすべて、それこそ音楽の原型のわけです。音色だけ、そしてダイナミックスだけ。和音なんかじゃない。今は、音符や和音ばっかり弾くピアニストがいるばかりで、大変注意深く演奏するし、技術的には完璧で……。でも、(わらいながら)欠けているんですよね。」pp. 32-34